見えないものを営業すること

少し前のことです。渋谷の再開発に伴い、東急百貨店に入っていた伊東屋もこの三月末にて閉店となりました。閉店前のセールを狙って立ち寄ってみたところ高級筆記具も一部を除き三割引となっていました。

昔からキャップつきのボールペンを探していたので、House of cardsに出てくるDoug(Michael Kellyが演じています)そっくりの店員さんにキャップ付きのボールペンを探していることを伝えたところ、ボールペンの性能は上がりキャップ付きのものは無いとのこと。私がキャップつきのボールペンを探す理由としてずいぶん昔のインク漏れの話をしたところ、今ではインクが漏れることは無くなったとのこと。インクが漏れるとしたら、落下などでボールペンのボールに傷がつくことがほとんどで、一度そうなってしまったら本体側も洗浄しなければならない、なぜなら本体側に残ったインクが入れ替えた新品のリフィルのインクを呼ぶことでまたインクが漏れてしまう、と丁寧に説明していただきました。この人の話は正しそうなのでキャップなしのものを買っても良いかなと思い、いろいろみていたら目に入ったのがCARAN d'ACHE

DougはCARAN d'ACHEについて次のように話しました。CARAN d'ACHEの書き味は他のメーカーとは一味違う、なぜなら他のメーカーはボールを三点で支持しているが、CARAN d'ACHEは五点で支持しているためどの方向に動かしても滑らかに書けること。またボールペンは構造的にインクが乗っていない部分と乗ったままの部分が発生することで最初の書き始めにほんの少し書けないことや、逆にインクが濃く出てしまうことを防ぐことができないが、CARAN d'ACHEではそれが最小限まで抑えられていること。他のメーカーにはないサイレントノックという機構を開発しているので、芯を出す際に煩わしいノック音がしないこと。伊東屋とCARAN d'ACHEは特別な関係にあり、伊東屋銀座点の隣のCARAN d'ACHEブティックを開く際も伊東屋が準備し、そのまま伊東屋が運営していること。伊東屋の100年記念の際もCARAN d'ACHEと伊東屋で共同で万年筆を作ったこと(天然のルビーが埋め込まれておりとても素敵でした)。他にも伊東屋限定の筆記具を提供してもらっていること。その語り口は穏やかで自信に満ちており、その内容は興味深く感心させられ、Dougが高級筆記具において一級の知識と経験を持っていることを裏付けていました。

私は彼からCARAN d'ACHEの伊東屋限定のボールペンを一本購入することにしました。クレジットカードにサインするときにDougが貸してくれたボールペンは銀製でした。
「こんな時期ですから、銀にしているんです。」
このような細かな心遣いも彼は持ち合わせており、買ったときにとても幸せな気持ちになったのでした。同じボールペンを購入するにしても、他の販売員から買ったのではこのような気持ちにはならなかったでしょう。

購入したボールペン。

購入したボールペン。

さて、Dougのような営業を行うにはどのようにすべきでしょうか。Dougの営業を分解して考えてみましょう。まず、商品に対して広く深い知識が必須です。また、その商品を実際に使った経験も必要です。その二つから、自信を持って商品を説明・提案できるようになります。三つ目に、商品を購入するお客様の心理的・肉体的な負担を最低限まで減らすことも、長期的な顧客との関係性構築に影響してくるでしょう。

しかしながら、商品が好きであることが極めて重要だと思います。

商品が好きであるから広く深い知識も自然に身につきますし、好きであれば自分で購入し実際に使うことでしょう。好きなものを自信を持って説明することで、ますます説得力が増します。自分が好きなものを買われるお客様のために最善の状態を提供することでしょう。これらの相乗効果で、お客様は営業する人も、商品のことも好きになっていきます。一度お客様が営業する人やその商品を好きになれば、売り場で販売員とお客様という関係は消え去り、「同好の士」としての信頼関係が成り立ちます。この関係は強力であり、一見さんを常連客に育てることができるようになるのです。

ソフトウェア開発やプロジェクトマネジメントの営業においては、この知識や経験をお客様にお伝えすることが難しいものです。ボールペンと違いソフトウェアやプロジェクトマネジメントは目に見えませんし触ることもできません。使い心地を買う前に試すこともできないのです。セールスエンジニアが使う専門用語も複雑でお客様が理解できないことも障壁となっているでしょう。セールスエンジニアが熱く技術面を語っても、プロジェクトマネージャーがプロジェクトマネジメントの概念を説明しても、うる星やつらのメガネもびっくりの独善的演説になってしまいかねません。これでは、お客様とプロジェクトマネージャーやセールスエンジニアが「同好の士」となることはできないでしょう。

それでは、お客様はプロジェクトマネージャーやセールスエンジニアの言っていることが理解できない状態で、つまり判断すべきものが理解できない、まるで目隠しをされた状態でソフトウェアの開発を発注せねばならないのでしょうか。それに近いことが常に行われているからこそ、ソフトウェア開発は常に問題を発生させてしまうプロジェクトとなってしまうのではないでしょうか。これを防ぐためには、お客様とプロジェクトマネージャーとセールスマネージャーの間に共通言語を持たせることが必要だと考えます。そして、登場人物たちの間で共通の話題にできることが一つあります。それについて語ることで、お客様にとって見えないもの、試すことができないものを想像していただくことができるかもしれません。それは、お客様の直面している課題です。お客様より課題を説明していただき両者が理解することで、そのソフトウェアは何をするべきものなのかが明確になります。ソフトウェアの目的が明確になれば、それをどう作るかを広く深い知識と経験とで説明することができるようになります。この過程を経ることで、両者は課題についての「同好の士」となることができるようになります。

私たちは、お客様の課題解決において、お客様の課題を正確に理解することが必要であると考えます。3つの「きく」を通じて把握したお客様の課題に対して、好きでたまらないソフトウェア開発の豊かな経験と、普段から仕入れている最新情報を利用して、単に課題を解決するのみならず、ビジネスの成長やトラブルの回避も踏まえた提案を提示してまいります。